毎日ふらだら

日本の古都で毎日ふらふらだらだら生きてる人のブログ。

以前「既視感と過去、現在、未来」という記事で過去とは記憶の集合に過ぎないと書きました。
今回はその続きのようなもの。あくまで俺個人のの考えです。

年をとればとるほど、一年を短く感じます。
これは年をとればとるほど、一年が人生の中で占める割合が減っていくからだとよく言われます。
例えば、6歳の時の1年間は人生の1/6、18歳なら1/18だから6歳の時の1/3に感じるっていう風に。
でもこれは正確じゃないと俺は思います。
1年間を長く感じるかどうかは、用はその時から1年前までの事を振り返って、
その間の記憶の密度?もしくは量のようなものを感じるんじゃないでしょうか。
例えば6歳の時、1年間と、それまでの人生の記憶を比較して1年の長さを計る
その結果、1/6なり、もしくは0歳の頃の記憶がもう薄れているなら1/5なり
記憶で時間を計ると思うんです。
何故なら、1年が早くなったとはよく言うけど、現実世界に生きている中では1秒は1秒、
時間そのものが6歳の時から18歳にかけて1/3なんて風には長さの変化を感じないから。
あくまでもそれが記憶となってからの話をしていると思うからです。

ただ、頭の活発さや脈拍等によって多少時間は伸びたり縮んだりするとは思います。
時間とは皆のなかで同じように進んでいるのではなくて、一人一人時間の長さは違うからです。

1年を一瞬で振り返るとき、その一瞬で出てくる記憶というのはよほど強烈に記憶に残っている事だと思います。
つまり、1年間自分にとっての革新的な、生涯記憶に残るような事がずっと起こり続けたとすると、
その1年間は今までのどの1年間よりも長かったなぁと感じるんじゃないでしょうか。
と言って、そんな革新的な事なんて、人生単位で見てもそうそう起こる事じゃないし、
もし1年間そんなに非日常的な出来事ばかりが起これば、それが日常と化して、
それ以上の驚きは得られないと思いますけどね。あくまで仮定の話です。

でも日々の日常の中で、そういう事が起こるのと同じくらい記憶に焼き付く事があります。
それは心理的に何かを得たとき。んー、得たと言うより、何かの考えを身につけたとき。
というよりも。。。大げさに言うと、何かを悟った時。
ちょと大げさ過ぎる気もしますが、これ以外に言葉を思いつきません。
何かに考えを巡らせていたとき、ハッと何かに気づくことがあります。
そういう体験は強烈です。自分の生き方、考え方ががらりと変わるくらい。

大人はよく、本を読めと言います。
それは本の中には自分の知らない世界が広がっていて、その中で得られるものは多いから。
勉強をしろとも言います。
これも勉強することで視野が広がり、それによって得られるものも多いから。
勉強するのは自分の世界を広げるのに一番堅実な方法だと思います。
でも特に自分の興味がない分野に関して、勉強は辛い。
本を読むのはその次に堅実かな?楽しいし、得られるものも多いから好きです。

そんな中で、スカが多いけど当たると大きいものが、思い巡らす事。
あんまり大げさに聞こえる言い方は好きじゃないんですが、いわゆる瞑想です。

俺はあまり学校に行けなかった。
そのせいって言うのも変だけど(行かなかったのは自分だから)
勉強が出来る方じゃない。
でもその分得られたものは大きいと思う。考えることが好きになりましたから。
ま、今の社会じゃあまり評価受ける部分じゃないですけどね。

結局言いたいことは
瞑想いいよ、瞑想。
子供は早く大人になりたいと言う。
大人は子供の頃は良かったと言う。

「星の王子様」を読みました。
言わずと知れたサンテグジュペリの名作です。
昔から家にあって、時々ぺらぺらめくった程度だったんですが、
ふとちゃんと最初から最後まで読んでないなと気づいて読みました。
俺は子供の心を無くした大人にはなりたくない。
なぜって、純粋な夢を持てないから。
でも子供の心ってどんな心でしょうね。
何にでも関心を抱くこと? 夢を諦めずに追い続けること?
おそれを知らないこと? 箱の絵の中に羊を見いだせるような心の目を持つこと?

大人が子供の頃はよかったというのは、子供の頃は経験も浅くて、
初めてのことが多くて、だから世界が輝いて見えたからかもしれない。
子供の心って、既成概念や周りの目に囚われずに純粋な心の目で何かに向き合える。
そういう事だと思います。

でもね、こんな風に考えられるのは俺がもう大人色に染まってしまっているから。
放置しすぎると次書く気がなくなるので、これからはもう少し頻度を上げていきます。

何するわけでもなくぼーっと何かを考える事があります。
それはその時々気づいた事とか、はっと思い出したことから、
ふらふらっと思考が始まり、またいつの間にか現実に戻ってきます。
その時ふと感じたことから始まるので、大体方向性はばらばら。
でも時々、一度あるテーマに囚われたら、ふとその事ばかり考えてる事があります。

最近俺が考えてるのは、人間にとっての時間の流れ。
以前から時間ってものにすごく興味があって、
将来物理に進んで、物質的に時間とは何か?を学びたいと思ったこともあります。
今でも捨てきれないで、少し迷ってるんですけどね。

でも今考えてるのは、そういう物理的な観点からの時間じゃなくて、
人間主観での時間の流れのこと。

まだ何らかの結論は得てないし、そもそも得られるかどうかもわからない。
何を目指してこれを考えてるかもわからないから、支離滅裂です。
でも少し自分で整理したくて記事にすることにしました。

既視感(デジャヴ)ってありますよね。
「あ!この瞬間前見たことある!」ってやつです。
俺が考え始めたのはここからでした。

ある日うとうとしてると、寝てる間に夢を見ました。
あまりに現実的すぎて、何故かその時
「これはいつか既視感としてよみがえる!」
と感じたんです。
「いつか既視感としてよみがえるなら、今この瞬間その夢を見たって事を記憶しておけば、
今考えられている既視感のメカニズムの反証になるかもしれない!」
なーんて、その時寝ぼけた頭で考えた訳です。
( ゚Д゚)ポカーンな考えですけど、寝ぼけてたんだから許してください。

  ちなみに既視感は、正確にはなぜ起こるかまだ不明ですが、
  その時実際に感じている事を、
  脳のミスでそれを記憶の中から取り出してきたと誤認識することだという一説があり、
  この記事中ではそうであるとします。
  つまり、実際過去にそれを見たことがないけど、見たと感じる。
  ここで理性が働きます。
  「いや、全く同じ状況が二度起こるはずがない。」
  でもその人は、見たことがあると思いこんでいるので、
  「じゃあ、昔夢で見たんだな。」
  ここから、予知夢とか正夢ってのが出来たんだと思います。
  以上既視感について。
  場面を戻します。

さて、( ゚Д゚)ポカーンな思いつきをした俺は、
必死で夢を思い出し、それを記憶に焼き付ける努力をしました。
(今ではものすごくおぼろげになってきましたけど!)
その時はたと考えた。
もし仮に将来そういう状況が起こったとして、その時まで記憶が残っていたとする。
もし既視感を感じたとき、その記憶を思い出すはず。
そのとき俺は、以前そういう夢を見て、( ゚Д゚)ポカーンな考えをして、
記憶に焼き付けて、その記憶を思い出していると感じるはず。
しかし、それ自体が脳のミスによる感覚かもしれない。
つまり大げさに言うと、脳のミスによる記憶の捏造かも知れないって事です。

と、ここで思考が別方向へ飛びます。
脳のミスで、過去経験したと感じるだけで、その人にとっての過去となる。
つまり過去とは、自分の脳の中だけにある記憶の集合であり、
現在とは、その記憶を紡いでいく過程で、未来とは現在を思い出すことが出来る状態。

ちょっと危険思想のにおいを感じました。

キラリム

Author:キラリム
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